2013年03月11日

Hくんはなぜ殴られた

大学3回生の秋、学園祭で賑わう大学のメインストリートで私は後輩のHくんを殴った。  
  
私はHくんのことを気に入っていた。だから怒って殴ったわけではない。目の前にいるのが邪魔だっただけなのだ。邪魔だからと言われて殴られたHくんにしてみればたまったものじゃない。「邪魔だからのいてくれ」と言ってくれればそれでよかったと思っているに違いない。しかし、私に気に入られていることを知っていたHくんは、私に殴られたことに対してそれほど腹を立てていなかったようだ。

翌年の4月に私は別の後輩・Aくんを怒鳴った。机に手を叩きつけていい加減にしろと罵ったのだが、その際に私の指が彼に当たったようで、「殴られた」とAくんは騒ぎ出した。AくんはHくんを連れて大学の事務室に駆け込み、「こいつも殴られたことがあります」と言ったようだ。

私はHくんを殴った1年ほど前に、クラブ内のいじめが原因で暴力沙汰を起こし、謹慎の処分になったことがあった。大学は私の起こした計3回の暴力事件を重く見て、私を無期停学にしようと話し合ったそうだ。その際に先輩や同級生に助けられた。友情話はさておき、その時、社会学でお世話になっていたO教授に「田畑くんならもっとうまくできるだろうに」と言われたことが今でも忘れられない。

O教授が言うように、私はわりかし起用に立ち回るのが得意なのだ。しかし、Aくんに関しては、怒鳴ったが、殴ってはいない。それに、いじめの件でも私はたいがい冷静で、殴ることで目的を達すことができたと思っている。とは言っても、両者に対して私が怒りの感情を持っていたことは間違いない。

Aくんやクラブ内でのいじめの話を別にして、Hくんの件だけで言えば、実に不思議なのだ。第一に「私はHくんのことが好きだ」、第二に「口で言えば済む話だった」、第三に「怒りはなく、反射的に手が出た」。ではなぜ殴ったのか、なぜ怒りを感じなかったのか。ずっと疑問に思っていて、このブログでもたびたびそのことに触れてきた。

前に書いた「私はなぜ怒る」で、少し疑問が解けてきたような気がする。
“どうにかしたい”けど、“どうにかできない”時に怒りを感じ、“どうにかしたい”と思って“どうにかできる”時は“どうにかする”。
私は「Hくんをどかせたい」と思い、「どかせることができる」と思って殴ったのかもしれない。暴力と怒りの関係はなく、暴力は手段だったのかもしれない。

Hくんは当時の私の予想通り、人気のホストになったようだ。元気にしているようで嬉しく思う。

ほなな
posted by しょごたん at 23:16| 京都 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | しょごたんのつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
田畑さんってDV傾向ありますよね!

私の顔面にもガムテープ投げて来るし。

そういうのやめたほうがいいと思います! 

それが無意識の行動だとしてもだ。
Posted by きょん at 2013年04月01日 10:12
今日もゴミ投げつけてたし、そうかもねー。ごめんね。

それはそうと、
知らないは罪だけど、気づかないは無罪だとして、気づかされた場合は有罪になるのだろうか?忘れてしまえば、無罪かな?
Posted by しょごたん at 2013年04月01日 23:02
ガーナで答えを見つけてきてください!
Posted by きょん at 2013年04月02日 08:59
海外に行くことで人生感が大きく変わるような過度の期待は、今回においてはしてないよ!そーいう目的やないしね。まぁ結果的にそうなればいいけど
Posted by しょごたん at 2013年04月02日 15:38
期待があるのかなんて聞いてないですよ!!!とりあえず気を付けて行ってらっしゃい!
Posted by きょん at 2013年04月03日 11:31
気を付けて行くよー
Posted by しょごたん at 2013年04月03日 14:08
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