20:00伊予三島での用事をすませた。 たしか、○川は北条に住んでる言ってたよな、、、泊めてもらおっかな、、、さとっさんに「伊予まで来て」と言うのはずうずうしいしな、、、○上さんはまだ京都にいるしな、、、まいっか、坂出のジョイフルに行くとすっか
伊予三島から観音寺。観音寺から高松行きに乗り換えて坂出まで。
電車の中で村上春樹の『海辺のカフカ(高松が舞台となる15歳の家出少年のお話し)』を読んでいた
昨夜のことをぼんやり考える。さくらのことを思う。彼女の部屋のことを考える。彼女が僕にしてくれたことを思う。いろんなものごとが変化し、前に進んでいく。
「全ては想像力のオ問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities―まさにそのとおり。逆に言えば、想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。このアイヒマンの例に見られるように」
彼女は自分では多くを語らず、主に相手に語らせ、それに暖かい相槌を打った。彼女と話ししている相手は多くの場合、どこかのポイントでふと、呆然とした不安をいだくことになった。こうして話していることで、自分は彼女の静かな時間を無益に消費させ、その端正に整えられた世界に土足で踏み入っているんじゃないかと。そしてその印象はおおむね正しかった。
それをいったん口に出してしまうと、改めて形ある言葉にしてしまうと、僕の心の中に大きな空洞のような感覚が生まれる。その架空の空洞の中で、僕の心臓は金属的な、うつろな音をたてる。
「愛というのは、世界を再構築することだから、そこではどんなことだって起こりうるんだ」
一つ一つの言葉が身に染み込んでくる。あるジャーナリストがこんなことを言っていた。「それを読むには、それに適切な場所がある。」僕にとって『海辺のカフカ』を読むのに適した場所は、観音寺から高松に向かう電車の中なのだろう。
坂出駅に着いた。僕は電車を降りることはなかった。
久しく心が高ぶり、心強く引かれた。高松に心を引かれたわけではなく、全身に浸透してくる村上春樹の一文字一文字に心強く引かれた。胸の高鳴りが止まらない。久しくうんざりとした気分から開放された。
23:30高松駅に着く少し前に上巻を読み終わった。
翌朝、甲村記念図書館(主人公の田村カフカが生活する場所)を探した。警察に問い合わせても、104に電話で聞いても、高松に住まれている方々に聞いても誰もが口をそろえ「知らない」という。
喫茶店に入り下巻を読んだ。
甲村記念図書館のホームページは存在しますが、実際には高松に甲村記念図書館は存在しません。海辺のカフカにでてくる図書館は、すばらしいところなので一度行ってみたかったのですが
まぁ僕の心の中には甲村記念図書館があって、図書館二階の客室には、机とベットと絵が一枚置いてあり、窓からハナミズキの枝が揺れているのが見える。机には15歳の少女が座り頬杖をつき、ベットには15歳の少年が寝ている。
甲村記念図書館URL:「http://www.mdn.co.jp/webcre/Netacho/Vol34/」



